8 本
立山市はそのほぼ中央東西に中洋線が走り、そこに緑陰線と南都線が入り込んできて、この地域の中核都市となっている。立山駅には北口と南口があり、立山高校のある南口のほうが古くから発展したが、戦後は北口が優勢になり、今では四つのデパートが北口近くに集中している。
北口を出て北進する中央通りと駅まで東西に伸びる立山通りがある。北口を出てすぐ左折し立山通りを少し行くと、そこに立山書房がある。この通りが田所は好きだった。適当に狭く適当に広く、人通りもある程度で明るく静かで、それは、駅を出てすぐの通りの右に高際屋デパートがあり、もう少し行くと衣服を中心とした長蔵屋があり、もう少し行くと左手に第三デパートがあったことにもよる。第三デパートの向かい、駅からは右側に立山書房があった。かなり充実した本がそろえてあると、田所は思っていた。入ってすぐのところに、岩波新書の棚があり、そこでは何度も立ち止まっている。
一年の秋も深くもう冬近い日、田所はそこで一冊の本を手にした。岩波新書で「生命とは何か」。著者は、アーウィン・シュレディンガー、ドイツの有名な物理学者だった。本の内容は、従来の生物学の世界を物理学から検討してみようというものだった。挿絵の中で、すぐ目に付いたのは、細胞分裂の図だった。この分裂の状態を物理学の力学の観点から検討してみようというものだった。
鮮烈な印象を受けた。生物学を物理学で検証する、そんなことができるのだろうか。物理学は無生物を対象とするという暗黙の前提の上に立っていた田所には、科学の持つ柔軟で貪欲な探究心がかすかながらにほの見えた気がした。しかし拾い読みをしているうちに、何か違和感を思えた。どこがどのようにというふうには、もちろん田所の力で指摘することは困難であった。しかし、この方法はどこか根本的にずれているというのが、田所の直感であった。多関心な田所だから、そこに一定の魅力を感ずれば、岩波新書は130円から150円で決して高くなかったから、すぐに買うことはできた。しかし田所は、その棚の前にしばらくいたまま、結局買うことはしなかった。
もうそのころ哲学や文学でなく、ほぼ物理学を世界表現の方法にしたいと思う気持ちがかなりつよくなっていたから、物理的な方法というものに対して、かなり潔癖なところもあったのかもしれない。物理が新しい分野を開拓してゆくという魅力を感じていた。しかしそのためには、その方法が、澄んだものでなければならないというような思いがそのときの田所にはあった。
多分青春が持つ直感だった。田所はそうした直感にかなりの信を置いていた。新しい方法は混沌としてはいるが、それでもやはり澄んでいなければいけない、そんなふうに田所は考えて、その本を買わなかった。しかしその本は自分が持つべき物理学への姿勢を鮮明なものにしてくれた。
立山書房では、二年のはじめに一冊の翻訳書を買った。ルイ・エモン著、山内義雄訳「白き処女地」、白水社の発行だった。立山書房の入って一番右の奥が外国文学の棚だった。「白き処女地」はまったく知らない作品で作家も知らなかった。ただ訳者の山内義雄先生の名前はフランス文学で高名であったことをなにかで知っていたので、それでその表題のすがすがしさにもひかれて買うことになった。内容はすばらしかった。
主人公の若い女性がさまざまなことを経験し、恋人とも死別しながらも立ち直り生きてゆくというものだった。カナダのフランス植民地を舞台にした雪の村の静かな物語は、主人公のカトリック信仰の受け入れによって心の中心を見出すことによって終わる。田所は圧倒的な感動を受けた。それは文学的な感動とは異質なものに思われた。むしろ哲学的な感動であった。簡潔に要約すれば、予定調和と自由選択との相克だった。田所の理解は、カトリック信仰に基づく調和した平安な世界と、当面の自由を確保するために懸命に努力する世界との相克と思われた。
人は信仰の中で真の自由を得ると司祭は伝える。人間的な悩みや苦しみの代価はあるが、それでも一回限りの人生を間違ってもいいから切り開いていきたいというのが自由選択の途だった。主人公は最終的に、予定調和の信仰の世界へと入ってゆく。それは静謐な安らぎに満ちた純白な雪の世界であった。田所はその世界のすばらしさを十分に認めながらも、しかし、自分は自由を選択すると思った。
試行錯誤を重ねてゆくことが田所は無条件で好きだった。たとえそれが無理なように見えても、チャレンジしてみたかった。自由というものは人間に与えられた最大のもののひとつだと田所は思っていた。いやそれは一見自由に見えるだけで、ほんとうは気づきにくい規制の中で生かされているのだよと言われても、それはそうかもしれない、絶対的な自由なんて人間には不可能だけれども、可能な限りそこに近づこうとして生きることは可能なのではないか、というのが田所の立場だった。
信仰の中で物理はどうなるのだろうと、田所は一瞬考えた。しかしこの主題は彼が、信仰の側に立たないということで自然に消えてしまった。消えてくれてよかったと、多関心な田所は思った。
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